(^_^)(-"-)紅緒のお米人生(>_<)(^o^)
紅緒の人生にかなりの影響を及ぼした
お米こと米米CLUB デビュー直後から始まった、お米と紅緒の思い出話
解散した今振り返ってみても、やっぱりお米は最高だわぁ(*^^*)
【出会い】
お米との出会いは、中学校の美術の時間だった。
(如何にも、お米との出会いって感じだ←どこが!?)
レコードジャケット(←時代を感じるなぁ。)を描こうという授業で
たまたま、隣の娘が米米クラブってジャケットに描いていた。
「何それ?!」って聞いたのが運の尽き。
いや、もとい!運命の出会いだった。
この瞬間『米米CLUB』って名前にひと目惚れ(ひと聞き惚れ?)。
(ちなみにこの時、私は何を描いてたかっていうと、ゴージャスな薔薇をあしらった
クラシック音楽のジャケットをデザインしていた。
そんな奴だった。 ↑全くお米とはかけ離れている(^^;;
←でも、結構良い出来だったりして)
【はまる】
お米にハマったのは、出会ってすぐ。
時は、ちょうどお米がデビューしたころ。
よくラジオやら雑誌やらに出ていたらしく(←まだそんなに
ハマっていたわけでは無いから、あまり記憶されていなかったりするのだけど)
米米クラブが、次第に全貌をあらわにし始めた時期であった。
でも、当時音楽雑誌なんて買うこともなかった私は、
なかなか、お米の人々の姿を拝むことはできなかった。
←だって「PATI・PATIって何?」 ってくらいの奴だったんだから!!
それでもラジオに出ているお米を聴きつつ、すっかり虜になってしまった。
しかし、あの時のラジオ録音しとけば良かったぁ。。後悔。。。(>_<)
あの頃からおかしな事をいっていた様な記憶が未だに残っているなぁ。。。
思ってみればこの頃、お米の音楽に惹かれていたというよりも
お笑い好きだった紅緒としては、てっぺいちゃんの喋りにハマったのだろねぇ。
それに、姿も見てないしね、この時点では。。
その後、たまたま深夜『冗談画報』を観ると米米クラブが!!!
完全にハマった!! これまでの人生の中で、一番衝撃的な出来事だったかもしれない。
それ以来何につけても、普通ではもの足り無くなってしまった紅緒であった。
↑お米のせいにしている(¨;
【運命?!】
月日は経ち受験シーズン。 私立はことごとく不合格で
(←受験3日前にはじめて問題集をやるからだろう。きっと。)
周囲の人々は大焦りの高校受験も(←本人は全く気にしていなかったりする)
何とか都立の高校に合格。(←かなりぎりぎりでという噂も←とても、本番に弱い。)
そして、お米仲間が居なかった為、一人で盛り上がっていた紅緒に
この高校で、またまた運命の出会いが。
入学直後、その人からライブに行こうと誘われ、NHKホールへ。
これを機に、「お米と一緒に制作の仕事をしよう!!」といきなり思い立つ紅緒。
そして、これが、ただのファンの戯言では終らなかったのだ。。。
制作ったって色々あるし、とっても悩んだあげく「レコーディングエンジニア」を
目指してみたりする。
(←もともと音楽関連の仕事をしたいと思っていたから、こりゃ一石二鳥。)
そして、安易な発想から、これまた挫けもせず行ってしまったんだな、専門学校。
←あっ!一回挫けたわ。学校を決める為にいろいろまわったんだけど、
在る学校の人々の発言でかなり酷く傷ついた事が.....
「そいつらを(←誰だ?)見返してやる!」と、すぐに立ち直る←若かさだね。
この一件で、一層気が強くなり、そして、頭の悪い大人が嫌いになる紅緒であった。
←以降ますますこの傾向が強くなる。
でも、お米が居たからこそ、辛いことも乗り切れたんだなぁと、今になると思う。。
しみじみ。。ありがとうお米の人々(・_;)
【ファン休業】
お米と仕事をする計画第一弾!! 専門学校(東放学園)入学が決まった。
しかし入学以前に、この進路を決めたきっかけのお米のファンを一時休業していた。
就職後もも暫くの間、 陰ながら見守るファンとなる。
やぱ『KOMEGUNY』以降なんだか、違がうなぁ?と。
まさか、その後再びお米フィーバー(←死語)が甦るとは思いもせず..........
ちなみに、お米ファン休業中、PUNKやHR/HM(洋楽)漬けの日々。
またまたこれをきっかけに、友人と英会話に通い始めたりして。
>これまた、動機不純。ファンレター書きたいが為の英会話。
そういえば、英会話が流行るちょっと前だったなぁ。。。しみじみ。。
気付けば4年も通ったんだった。←だからってペラペラにはなっていない。←Why??
一方、この時一緒に英会話通った友人は、現在シドニー在住。 この違いって、一体?
【お仕事】
ファンを休業しつつも、レコーディングエンジニア目指していた紅緒であるが
いよいよ就職シーズン。
すでに、お米云々通り越して、制作の仕事に燃えていたなぁ←振り返る紅緒(^_^;)
とはいえ、やぱ、お米ファンを休業中でも、就職先はお米に近いところの方が
お米と仕事をするきっかけは多いんじゃないかって、きっと心の隅っこで思っていた
(に違いない)私に、恩師からソニーレコードを推薦するという話しが!!
市ヶ谷や信濃町の駅からいつもソニーのビルを観ては、私はあそこで働くんだぁ!!と
かなり本気で思っていた会社なだけに、何ともラッキーな展開。
しかし、ソニーの面接は凄かった。
なんてったって、面接官10人vs紅緒である.....
なぁぁぁんにも面接対策なんてしない私でも、ちとビビった。
←高校受験と同じく、前準備が嫌いな紅緒(・_・;
そんな奴でもとりあえずレコーディングではなくマスタリングでの採用がほぼ決定となる。
そして、スタジオの研修が始まった。
ところが、何かこの仕事違うなぁ。。。って
それだけの理由で、研修最終日、後先考えない紅緒は採用を断って帰ってくる。
ほんと、失礼しました。ソニーさん&恩師。m(__)m
それから、年末までなかなか就職先決まらず(←高校受験と同様の展開...)
やっと決まったと思った先は、研修まで終わったところで
女の子はエンジニアでは採用できないという。
(←どういう理由じゃ?!と、未だに納得していない私)
しかし、時期も時期なもんだから(もう年末)会社の言いなり(?)で
営業のデスクになることに。
↑ちょっと、お米から遠ざかった?!←しかし、後にこれは近道になるのである...
ぬはははは(⌒0⌒) 昔の人は良いことを言ったものだ。
「急がば回れ」である。
でも、「営業」----それは、やりたくない仕事ワースト5に入る職種
嫌なことはやりたくない主義はどうした?@!?△●※
とはいえ、ここではホント、沢山勉強をさせてもらいました。
ありがとうございましたです。m(__)m
一層、強く生きていけるようになりました。はい。
おまけに、嫌いなはずの営業は『楽しい』ということも知ってしまいました。
しかしこの時点では、お米との共演はまだ。(いつから共演希望になった?!)
当たり前か...そんなに簡単ではないのだよ。
と、言うより、お米の事は忘れていたといった方がいいかも。
なにせ、ファン休業中ですから。(¨)
【胃カメラの代償】
就職から、1年半経過。 ストレスやら飲み過ぎやらで、頭と体調を崩す。
(←頭は元々と言う説もある)
胃カメラ飲むなら自殺する!ってっくらいに飲みたくなかった
胃カメラまで飲む始末。
←でも、1カ月で10キロのダイエット(?)成功!!
こりゃぁいい!! (注:良い子はまねをしないように)
その為、退社。←あぁぁぁぁ短い業界生活だったぁぁぁぁぁ。
お米にも会えずに。。。。おぉぉんおんおんおん(泣)
そして、これをきっかけに長年(!)呑み続けてきたお酒をやめることとなる。
(←長年っていつから呑んでんじゃぁ)
いまでは、舐めただけでも酔っぱらう。すっかり下戸。
あぁ悲し( ̄_ ̄;) でも、でも、神様は見捨てては居なかったっ!←宗教がかる
胃カメラを死にそうになりつつ飲んだそんな紅緒にご褒美が!!
ありがとう、神様仏様。南無南無南無。。。。
そのご褒美として、ある方々が運命の場所に誘いこんでくれたのであります。
運命の場所とは.... お米との共演も夢じゃぁないって場所。
しかし、この時まさに、お米は激動の年へ突入しようとしていた。。。
【運命の場所】
その運命の場所は、世間では(ちょうどバブルがはじけた後だったので)
『バブルの塔』と呼ばれていたところにあった。
そういえば、採用の際に、「君は何が出来るのかな?」の社長の問いに、
「米米CLUBを呼んできます!」と、何の根拠もなく発言←自分を追い込む発言!!
しかし、結果有言実行となったので、面目保たれるのであった。ほっ(‥)
一方、スタジオは我が家からは、そりゃもう遠くて、病み上がりの体には
酷な往復4時間の通勤。(世間のもっと時間かけて通勤している人ごめんなさい)
その上、本格的に営業って仕事をする事になってしまったし....とほほ ∋_∈
>と言いつつ結構ハマっている。(^^;
そして、前のスタジオより、はるかに過酷な毎日が待っていた。
だけども、振り返って思ってみても一番楽しかったのはここでの日々。
幾度となく気も狂いそうになったけど、(今思えば)いろいろと面白かったし、
なにより苦しみの抜いたお陰で、遂に夢叶ったんだから。 そう!夢の共演!?
お米が来てくれた。我がスタジオに。(←ってもう辞めちゃったから我がではないケド)
この瞬間まで、確かにお米ファン休業中でした.....。 でも、急遽ファン再開。(^^
今度は、お米の制作関係者として。
関係者っていっても、ホントちょこぉぉっとしか(←謙虚だ)関わらないんだけど
まさか、ホントに現実になるるとは。
思い立ってから7〜8年あまり。 諦めなければ、夢は叶うんだと実感した瞬間。
制作の現場を生で観て、あぁぁこうやってお米は出来ていたんだなぁって
感動する紅緒でした。
【祭りの後】
やっと、お米との夢の共演が実現し、仕事も順調に進んでいたある日
何を血迷ったか音楽業界を去ろうと決心。
やぱ、自分も物を作る仕事がしたいっ!と思い直すのでありました。
初めは、死ぬまで業界で働くぞぉ〜と意気込んでいたんだけどねぇ....
関係者の一部では、お米に会えたから満足して辞めたんだ。
と思っている方もいるようですが、生憎と違のですねぇ。
わっはっはぁ。(^o^)
ま、そんな気の迷いなんだか、固い決心なんだかをしている最中
ちょうどタイミング良く辞めるきっかけができた!
時期としては、お米解散決定の半年前位だから、
名残惜しゅうございますぅぅと悲しみつつの退社。
でも、これで、やっと、普通のファンに戻れる!!
さぁ、いっぱいライブに行くぞぉぉぉ!!
しかし.... なぁぁんとなく、予想はしていたものの、まさかっ!?!?!
そう、「解散」...「祭りが終わった」と言った方がいいのかな?
この知らせは、お米に関わっていたため、一般より一足先に知ってしまう。
こればっかりは嬉しくないことだった。
知ったその日以降、呆然としたままの日々を過ごす。
これから何を支えに生きていこうって。。。。←大げさ←でも、深刻
1997年3月5日/6日お米の祭りの終わりに立ち会いつつ
今までの人生、お米のお陰で楽しかったぁぁと改めて実感。
泣いちゃうんだろうなぁって思っていたのに、最後まで笑っていた。
泣く間もないほど、踊るのに忙しかったしね。
今までの人生に加えてこの解散ですら楽しい事にしちゃう。
やっぱ、お米についてきて良かった。
そして、月日は経ち、祭りの後の寂しさも薄れ
これからはCS石井改め、石井竜也についていこうと決心するのであった。
めでたし、めでたし。(??)